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テーマ別解説

夏の風物詩となったビアガーデン

(4)根強いビアガーデン人気
いわゆる「屋上ビアガーデン」の最盛期は東京オリンピックの前後とされる。まだエアコンが普及していなかったこともあり、同僚と涼んでから帰宅しようという気持ちが勤め人たちをビアガーデンに向かわせたのであろう。この頃の屋上ビアガーデンでは生バンドがつきものだった。ビアガーデン内の特設ステージでハワイアン音楽を演奏したりすることがビアガーデンの目玉となっていた。

ビアガーデンの隆盛によって、屋上以外の公園や観光地などでもビアガーデンの通称でビールを飲ませる場所が増えた。特に有名なのは、札幌の大通り公園のビアガーデンである。1959(昭和34)年第6回「さっぽろ夏まつり」に始まったこの巨大ビアガーデンは、正式名称は「大通納涼ガーデン」といい、今でも北海道の夏の風物詩となっている。

ユニークな会場としては、横浜・山下公園の氷川丸甲板がある。氷川丸は1930(昭和5)年に竣工・就航した豪華客船で、1960(昭和35)年に引退し、翌年から山下公園に係留され、すぐに甲板にビアガーデンが開かれた。港町横浜の夜景を一望できる場所で、潮風を受けながらクルーズ気分が味わえるビアガーデンとして人々に愛された。

1970年代後半になると、屋上ビアガーデンにも一時期の隆盛が見られなくなった。1976(昭和51)年8月16日付『朝日新聞』東京版夕刊には「ビアガーデン」という見出しで、ビアガーデンが「もう一つパッとしない」状況を伝えている。その理由には、「スモッグに包まれた都心にノッポビルが次々に生まれて売り物の景観もガタ落ち」したことや、「飲む場所が多様化」して女性客も「ビアガーデンを卒業」したことなどを挙げている。 1970年代後半はエアコンが普及した時代でもある。1970(昭和45)年、エアコンの普及率はわずか5.9%だったが、1980年代には50%を超えた。涼をとるためにビアガーデンに行く必要がなくなってきたのである。その後エアコン普及率は1992年に100%を超えたが、それによってビアガーデンの人気が急激に落ちることはなかった。

1980年代に入ると、ビアガーデンにもさまざまな業務形態が現れる。料理に工夫をこらしたビアガーデンや、スポーツ中継を放映するビアガーデン、屋上ではなく公園などの緑の中につくられたビアガーデンも出現した。こうしたいわば新しいタイプのビアガーデンには毎年飽きることなく人が集まるようになっていく。

キリンビールが2004年から行っている「ビアガーデンに関する意識調査」では、毎回90%以上の人々が「ビアガーデンに行く」と回答し、ビアガーデンの根強い人気がうかがえる。屋上ビアガーデンの最盛期を知らない若い世代の人気も根強い。

また、同じ調査ではビアガーデンに一緒に行く人として「友達」をあげる人が最も多く、「友達」「家族」「恋人」など、プライベートのグループで行くと答えた人は20代では90%近くにのぼっている。これは昭和30〜40年代のビアガーデンでは見られなかった傾向である。このように、昭和30〜40年代と現在のビアガーデンは時代ごとにかたちを変えてきているが、夏に外で楽しくビールを飲みたいという人々の気持ちは変わらず、今後もビアガーデンを「夏の定番」に位置付けていくことであろう。

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