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テーマ別解説

夏の風物詩となったビアガーデン

(3)屋上ビアガーデンと女性
屋上ビアガーデンは、日本の各地にデパートや駅前ビルなど、高層の商業建築物が建てられるようになった時代とも重なり、数年のうちに全国の都市に広まった。また、ビアホールに女性の姿が見られるようになった時期でもあり、ビアガーデンにも女性客が増えていった。
1955(昭和30)年5月22日付『河北新報』朝刊は「屋根の上の夏」と題する記事で、仙台市の「Sビル名物の屋上食堂」で、「青空の下でビールとシャレた二人連れの姿もみられた」ことをビーチパラソルが並ぶ写真とともに報じた。

また1955(昭和30)年7月3日付『読売新聞』東京版朝刊は、「世界を駆ける涼風」の見出しで、羽田空港ターミナルの屋上テラスで見送りの男女がビールやジュースを飲んでいる様子を伝える。その写真の屋上テラスにはパラソルも提灯もないが、翌1956(昭和31)年7月11日付同紙朝刊に掲載された同じ場所の写真には提灯がめぐらされている。前年の人気を受けて、ビール会社が銘柄入りの提灯を提供したようだ。

その後も初夏になるとビアガーデンの盛況ぶりを伝える写真が新聞に掲載された。1960(昭和35)年5月31日付『読売新聞』東京版朝刊は東京・数寄屋橋のビアガーデンの写真を掲載。記事中に「おつとめ帰りのBG(注:ビジネスガールの略、女性の会社員や事務員のこと)の姿も目立つ」とあるが、その3年後になると女性目当ての「ファッションショーつきガーデン開き」が東京のホテルで開催されたほど女性客が増えてきた(『朝日新聞』東京版朝刊 1963年5月5日付)。

さらに3年後の1966(昭和41)年7月8日付『朝日新聞』東京版朝刊は家庭欄で「若い女性はビールがお好き」と題して、若い女性がビアガーデンに増え、「暑い夜には若い女性づれも二、三割を占める」ようになったことを伝える。またビアガーデン側も「女性客がはいりやすいように」心がけるようになった。

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