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酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

テーマ別解説

レジャーとビール

(2)音楽とビール
1865(慶応元)年、横浜山手99番地に「ビア・アンド・コンサート・ホール」が開業した。このコンサートホールは、居留地に住む外国人を対象にしたものだったが、音楽とともにビールを楽しむ文化は、幕末の横浜にはすでに上陸していた。

大正時代になると、日本人も入れるダンスホールが神奈川・鶴見(現・横浜市鶴見区)の「花月園」内にオープンした。以降、都市文化の勃興とともに、全国の繁華街にダンスホールが建設されるようになった。これらのダンスホールでも、カクテルやビールが飲まれた。

しかし日本が戦時体制に突入する中で、ダンスを不品行な遊びだとする声が強くなり、1936(昭和11)年3月、警視庁はダンスホール以外でのダンスを禁止した。さらに1938(昭和13)年7月にはダンスホールに女性が立ち入ることを禁止し、1940(昭和15)年、ダンスホールはついに閉鎖されてしまった。

一方、西洋音楽は、最初は演奏会や軍の楽団で演奏されるものであったが、明治末に国産蓄音機が開発され、大正期にラジオ放送が始まると、人々はさまざまな場所で西洋音楽を楽しむようになった。大正時代から昭和初期にかけて流行したカフェーでは、人々は蓄音機から流れる流行歌を聞きながら、ビールの味を楽しんだ。

第二次世界大戦後の1946(昭和21)年には、ダンスホールが各地で開かれるようになった。例えば、老舗デパート白木屋にはダンスホール「シロキ・クラブ」が開かれたが、ここは音楽とダンスを楽しみながら食事のできるホールであった。 1950年代になるとダンスホールもさまざまな趣向をこらすようになる。1951(昭和26)年5月14日付の『読売新聞』夕刊には、「海風うける屋上でビールとダンスを」という東京温泉の広告が出ている。また、1957(昭和32)年8月9日付の『読売新聞』には、海水浴場に向かう納涼船にビアガーデンが設置され、ハワイアンバンドの演奏でダンスパーティーが行われたことを紹介する記事が載っている。昭和30年代から40年代にかけて大流行した屋上ビアガーデンでは、生バンドの演奏が定番だった。

1990年代後半からは人気のアーティストを集めた野外ロックフェスティバルが流行した。これらの音楽フェスティバルは夏に開かれることが多く、ビールは人気の飲み物である。都会の公園、ウォーターフロントや自然の中の特設会場で、自分の好きな音楽を聴きながら、ビールを楽しむ文化が定着している。
『ジャパン・ヘラルド』に掲載された、ビア・アンド・コンサート・ホールの開業広告

『ジャパン・ヘラルド』に掲載された、ビア・アンド・コンサート・ホールの開業広告(横浜開港資料館 蔵)


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