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酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

テーマ別解説

都会っ子が通ったビアホール

(4)会社帰りのオアシスからプライベートの楽しみに
1949(昭和24)年5月、飲食店の営業再開の申請受付が始まり、6月1日から都内で21のビアホールが営業を再開することになった。値段はビール0.5Lで150円程度だった。つまみに配給の副食券が不要など、ほかよりも条件がよかったので、喫茶店などからビアホールに転向することを申請した業者が約1,000軒にも達した。

再開の日を迎えると、新聞はこぞってビアホール復活のニュースを写真入りで掲載した。ほとんどの記事がビアホール再開を歓迎しつつも、値段が高いことを指摘し、1949(昭和24)年6月1日付の『読売新聞』は「泡で13億円」と題して、政府はビールの税金で9月までの上半期で13億円の税収を期待していることを報じた。また6月2日付の『毎日新聞』は、「お高い値段にへきえきしてかお客はチラホラ(略)夕方からようやく客足もついた」と報じた。

初日はそれほど盛り上がらなかったようだが、ビアホールは次第に客足を伸ばし、やがて女性もビアホールに行くようになる。小津安二郎監督の映画『麦秋』(1956年)で原節子がビールを飲んでいたように、女性のビール愛好者が増えた時代でもある。1951(昭和26)年にはビアホールの女性客の増加が目立つようになり、新聞各紙で新しい現象として取り上げられた。5月15日付『読売新聞』はビアホールに女性用トイレが新設されるようになったことを伝えた。さらに同紙は1957(昭和32)年7月9日付で、「女性とビヤホール」と題し、女性にビアホールが人気の理由を「明るさがウケる」と解説している。取材を受けた女性たちは、男性と飲みに行くときも「うしろめたい感じ」がしない、女性同士でもジョッキ1杯なら値段もコーヒーと大差なく、話がしやすいなどとコメントしている。

1950年代、夏季に屋上で営業するビアホールはビアガーデンと呼ばれるようになる。ビアガーデンが登場してもビアホールの夏の売れ行きが急落することはなかった。ビアガーデンのバンド演奏などの派手さを嫌う人々はビアホールに残ったためである。また、ビアホールにはエアコンが設置されるようになり、ビアガーデンよりも涼しく過ごせた。

1970年代から1980年代にかけては、サラリーマンのイメージがついたビアホールを敬遠する若者や女性たちをターゲットにした、「ビアパブ」、「ビアカフェ」などを名のる店が増えた。

1990年代以降は、グルメブームの影響で、おいしいビールを飲むためにあえてビアホールに行く人々も増えた。ビアホールの発展型として、2003(平成15)年からはドイツ・ミュンヘンで19世紀初頭から開催されているビールの祭典「オクトーバーフェスト」に倣ったイベントも日本各地で開催されている。年間数十万人のビールファンを集め、ビールとドイツ文化を純粋に楽しむイベントとして定着した感もある。

2007(平成19)年にキリンホールディングスが行った「会社(職場)の人とのお酒の飲み方に関する意識調査」では、会社の人とよく飲みに行く場所(複数回答)は「居酒屋」(90.7%)、「レストラン・ダイニング」(23.8%)、「ビアホール・ビアガーデン」(19.5%)だった。一方、同年のキリンビールの「ビアガーデンに関する意識調査」ではビアガーデンに一緒に行く人としては「会社関係」を「プライベート」が大きく上回っており、ビアホールやビアガーデンなどの店はプライベートで行く場所に変わってきたことがうかがえる。
ビアホール

営業を再開したビアホール


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