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酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

テーマ別解説

「ビール」という日本語の由来

(3)「ビア」より「ビール」
慶應義塾の創始者として知られる福沢諭吉

慶應義塾の創始者として知られる福沢諭吉(国立国会図書館 蔵)

開国以降は貿易や外交のために日本で英語学習が盛んになるが、英語学習者もビールのことを日本語で「ビア」と記すことは少なく、「ビール」、「ビイル」、「麦酒」などと書いた。例えば福沢諭吉が1867(慶応3)年に刊行した『西洋衣食住』には「『ビイール』と云ふ酒あり。是は麦酒にて、その味至て苦けれど、胸隔を開く為に妙なり」とある。

明治初期、横浜山手の居留地でビールの製造が始まると、ビールは地元の人々に「ビアザケ」と呼ばれた。その頃の新聞での表記は「ビール」、「麦酒(ばくしゅ)」が多い。1872(明治5)年11月2日付『横浜毎日新聞』第596号に掲載された横浜山手46番のジャパン・ブルワリー(キリンビールの前身のジャパン・ブルワリーとは別会社)の広告にも「ビール売値段」とある。

明治中期の近代的国語辞典では、当初「ビール」の項目はなく、「ばくしゅ」だけがあった。しかし高橋五郎著『漢英対照 いろは辞典』(1888年刊)のように、「ばくしゅ」の語釈に「ビール」を含んだものもあった。そして1891(明治24)年に刊行された本格的国語辞典である大槻文彦編の『言海(げんかい)』では、「ばくしゆ」とともに「ビイル」の項目が立てられた。ついにビールは日本語として認められる存在になったのである。

明治後期になるとビアホール出現の影響もあって、英語風に「ビーヤ」とも呼ばれるようになる。日本初の外来語辞典『舶来語便覧』(1912年刊)では、「ビール」、「ビーア」、「ビーヤ」のすべてが立項されているが、最も一般的な呼称はやはりビールだった。そして時を経た今でも、「ビール」と呼ばれることがほとんどである。
諭吉の代表作である『西洋事情』

諭吉の代表作である『西洋事情』(慶應義塾大学図書館 蔵)


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