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酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

日本のビールの歴史年表

大正元年〜昭和14年(1912〜1939)

解説
  • 1914年(大正3年)
  • 第一次世界大戦勃発(〜1918年)。
  • 三重県桑名、静岡県伊豆修善寺温泉など、各地でビアホールが開設された。
  • 1916年(大正5年)
  • 新聞で「カッフェとバーとに解合つたビアホールが今東京には大小合せて約五百軒ある」と紹介(『読売新聞』6月16日)。
  • 大日本麦酒が中国・青島のドイツ系会社のビール工場を買収。翌年「青島ビール」発売。[9月16日]
  • この頃からアジア市場へのビール輸出が急増。
  • 1917年(大正6年)
  • 炭鉱でもビールが飲まれるようになり、全九州のビール売上げが急増した。
  • 生活必需品高暴騰し、ビールも値上がり。
  • 1918年(大正7年)
  • 富山県で米騒動が起こり、やがて全国に広がる。[8月]
  • 1919年(大正8年)
  • 雑誌『日本一』(1月号)に「ビール党」という言葉が登場する。
  • 明治屋が「コカ・コーラ」を輸入販売。[6月]
  • 仙台に東洋醸造設立。[9月23日]
  • ビール生産量が飛躍的な伸びを示す(前年の49万6,026石に対し64万8,698石)
  • 1920年(大正9年)
  • 飛行機から「キリンビール」の宣伝ビラがまかれる。[5月]
  • この頃から、多田北烏が「キリンビール」のポスターを手がけるようになる。
  • ラムネが清涼飲料水の95%を占める。その人気に粗悪品も横行。
  • 横浜の日英醸造、「カスケードビール」発売。
  • 明治屋が銀座尾張町に「カフェー・ユーロープ」を開店。カール・ユーハイムなど外国人技師を招いてつくった菓子、サンドウィッチ、ソーセージと「キリンビール」を提供し評判となる。
  • 1921年(大正10年)
  • 東京市内の酒店が50銭売りと協定しているビールを市の公設市場が45銭で販売、酒店の組合と市がひと悶着。[8月]
  • 仙台の東洋醸造、「フジビール」発売。[10月10日]
  • この頃、ビールの広告合戦が盛んに。各社キャッチフレーズに工夫をこらし、新聞紙上等での広告合戦を繰り広げる。
  • 1922年(大正11年)
  • 平和記念東京博覧会が上野で開催される。各地の料理やビールをはじめとする酒が並べられた。[3月]
  • 前年に設立した日本麦酒鉱泉株式会社が「ユニオンビール」発売。[4月3日]
  • 1923年(大正12年)
  • 麒麟麦酒が、仙台の東洋醸造との合併契約を成立、仙台工場とする。[5月1日]
  • 関東大震災が起こる。[9月1日]
  • 関東大震災前の東京市内の日本料理店は2万軒近く、西洋料理店は5,000軒、兼業が1,500軒、中華料理店は1,000軒。
  • 東京・銀座2丁目に「カフェー・キリン」開店。
  • 1924年(大正13年)
  • 野村胡堂、『報知新聞』に「盛岡の思ひ出」を発表。学生時代には仲間を集めてしばしば「コンパ」を開き、ビールも口にしたと記す。
  • 東京・銀座に「カフェー・タイガー」開店。
  • 大衆食堂「須田町食堂」(のちの「聚楽」)が開店。洋食をリーズナブルに提供し、翌年には四つの支店を出店するまでに繁盛する。
  • 1926年(大正15年)
  • 鉄道省が横浜、上野、両国駅に手軽に食べられる直営ランチホールを設けたところ、利用者が急増。その人気に次々と改築駅に開設。
  • 斎藤茂吉、『ドナウ源流行』を発表。ミュンヘン滞在中にビールを飲んだエピソードがつづられる。
  • 1927年(昭和2年)
  • 明治屋社長磯野長蔵、麒麟麦酒の専務取締役に就任。[1月28日]
  • 1928年(昭和3年)
  • 麒麟麦酒、「キリンレモン」発売。[3月16日]
  • 『サンデー毎日』の6月24日号に「夏の夜の食卓―冷たいビールの取肴」という記事が掲載される。
  • 大日本麦酒・麒麟麦酒・日本麦酒鉱泉の3社間で生産量・販売価格に関する協定締結。翌年、桜麦酒も加入。[6月30日]
  • 寿屋、日英醸造を買収。[12月1日]
    翌年「新カスケードビール」発売。一本29銭。
  • 東京の飲食店数。西洋料理:1,619軒、蕎麦:1,568軒、汁粉・餅:1,504軒、おでん:945軒、寿司:895軒、喫茶:881軒、天ぷら:459軒、ラーメン:444軒、川魚料理:11軒、どじょう:10軒、うなぎ・貝料理:4軒、朝鮮・台湾料理:3軒、豆腐料理:2軒、すっぽん料理:1軒。
  • 1929年(昭和4年)
  • 関東大震災から立ち直った東京にカフェーやバーが氾濫。その数7,532軒、女給の数15,559人。
  • 1930年(昭和5年)
  • 日本麦酒鉱泉が1928年に結んだ協定を脱退し、「ユニオンビール」の王冠を1個3銭で現金買い入れするキャンペーンを始める。[3月]
  • 寿屋、「オラガビール」発売。価格は一本25銭。[5月]
  • 『サンデー毎日』の8月17日号に、「ビール問答…琥珀色の誘惑…ビールは今や季節の寵児である」という特集記事が掲載される。
  • 大阪で「プロレタリア食堂」開店。プロ小鉢付き朝食15銭、ビール10銭、酒15銭。
  • この頃、銀座のカフェーのほとんどは「狭い店に、女給を沢山置いて、蓄音機をならしずめにして、洋酒やビールを思いっ切り高く売る」という場所になっていた(古川緑波「銀座と浅草」、『婦人画報』1月号所収)。
  • この年に刊行された『哄笑極楽』に、コロッケやライスカレー、ロールキャベツなどの洋食を提供するカフェテリア形式の食堂でビールを運ぶ客を描いた漫画が掲載される。
  • 岡本一平の画集『一平全集』第13巻にビールで晩酌をする様子を描いた漫画が掲載される。
  • 東京芝浦電気(現・東芝)が国産初の電気冷蔵庫を発売。当時は家が1軒買えるほど高価だった。
  • 世界恐慌が日本に波及し、昭和恐慌に。
  • 1931年(昭和6年)
  • ビールの乱売戦エスカレート。桜麦酒が協定から脱退し新発売の「スピードビール」を27銭で販売。他のビールも30銭まで安くなり、1917年以来の安値を記録。[8月]
  • 満州事変勃発。[9月18日]
  • ビールの価格は安くなったが、消費は減少し、生産量は前年比7.5%減。
  • 1932年(昭和7年)
  • 麒麟麦酒、「キリンスタウト」発売。[12月1日]
  • 1933年(昭和8年)
  • 日本麦酒鉱泉を7月に合併した大日本麦酒と麒麟麦酒によって麦酒共同販売会社が設立され、乱売戦に終止符が打たれる。[8月12日]
  • ビールの生産量が年間100万石を突破。[12月]
  • 1935年(昭和10年)
  • アメリカのクルーガー・ビール社が世界で初めて缶ビールを発売。[1月24日]
  • この頃、喫茶店が大流行。東京で約1万5,000軒。当時の値段はコーヒー1杯15銭だった。
  • 国鉄、駅弁の車内販売を開始。
  • 1936年(昭和11年)
  • 2.26事件起こる。[2月26日]
  • 高村光太郎が、随筆「ビールの味」を発表。
  • 1937年(昭和12年)
  • 東京・スキヤ橋畔に全館飲食店のビル「ニユー・トーキヨー」完成。生ビール中心の全館飲食店という形態は日本初。(地下1階、地上5階建、延床面積500坪)[6月9日]
  • 1938年(昭和13年)
  • 東京市の飲食店1万5,000軒のうち、一番多いのは喫茶店の2,600軒、次いでカフェーの2,000軒。
  • 1939年(昭和14年)
  • ビールが統制価格となる。
  • ビール生産量が173万4,435石を記録。戦前のピークをむかえる。
  • ビールが大量に買い占められ、ヤミ取引が盛んに行われた。

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