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酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

時代別解説

明治19年〜明治45年(1886〜1912)

近代ビール産業の確立

(3)鉄道の開通によって全国に普及
1872(明治5)年、新橋〜横浜間に日本で初めての鉄道が開通した。9月12日の開通式には、売店に「洋酒」が並んでいたことが『東京名勝図会』に記されている。現在からは想像しにくいが、当時はビールのことも「洋酒」と呼んでいたため、ビールもそこで売られていた可能性がある。

1889(明治22)年には東海道線が神戸まで開通し、その後上野〜直江津間を結ぶ信越線、直江津〜新潟間の私鉄北越鉄道も完成した。明治から大正にかけて全国的に進んだこのような鉄道網の整備は、人と物の行き来を盛んにし、西洋の文化を地方へと広めていった。ビールもその例外ではなかった。
鉄道の普及が、ビールの輸送に役立ったことはいうまでもない。ビール工場がある場所は限られていたため、特に内陸部では鉄道のない時代は馬の背に乗せて運搬するなど大変な苦労を伴ったのである。

さらに都会でビールの味を覚えた人が、地方でもビールを飲むようになっていった。例えば1904(明治37)年5月に新潟駅ができると、「俄然東京人の来港が激しくなった。料理屋も忙しくなる、出入の酒屋へ麦酒と言うモノを注文すると言う寸法で、酒屋も薬屋専売の筈だった麦酒を取扱い始めた」(『新潟 ビール今昔物語』)という記録がある。西洋文化に触れた地方都市の様子がよく伝わってくるとともに、ビールがこの頃薬店でも売られていたことも分かる。

1889(明治22)年に駅の待合室に広告を出すことが許されると、新橋駅と上野駅にはすぐに「キリンビール」のポスターが貼り出され、翌年には全国の主な駅でビールの広告が見られるようになった。1899(明治32)年には新橋駅と横浜駅にできた食堂で「キリン生ビール」が売られるようになった。横浜の駅舎の脇には、豆電球が点灯する当時としては非常に珍しい大電飾看板も掲げられた。
新橋〜横浜間を往復した「陸蒸気」

新橋〜横浜間を往復した「陸蒸気」(新橋駅付近/毎日新聞社 提供)

横浜駅の「キリンビール」看板

横浜駅の「キリンビール」看板(横浜開港資料館 蔵)


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