酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

時代別解説

明治元年〜明治18年(1868〜1885)

ビール文化の揺籃

(4)西洋の食文化とともに広まるビール
文明開化の流れの中で、横浜や東京には西洋料理店や牛鍋屋が増えていき、ビールをはじめとした西洋の酒が提供されるようになった。1871(明治4)年に刊行された『牛店雑談安愚楽鍋』の挿絵には牛鍋屋の品書きに「ビイル十八匁」の文字が見える。また東京・九段にあった「南海亭」の1871(明治4)年頃の品書きが書かれた引札(チラシ)には、「ビイル 麦酒 大一本に付 金三朱と銭三百文(約26銭)」とあり、ビール大びん1本がスープ、フライ、ビフテキのコースより高い。ビールが大変な高級品であったことが分かる。もっとも、この頃の西洋料理店に通うのは、富裕層たちであった。

びんビールをビール専門店・洋酒店や薬局で買うこともできたが、庶民にとっては高嶺の花だった。1878(明治11)年には輸入ビールが1本25銭、国産ビールが17〜20銭で、国産ビール1本と米3〜4kgが同じ値段だった(表1)。
 西洋式の格調高い社交場として政府が1883(明治16)年に建てた鹿鳴館でもビールは飲まれていた。外交官の小松緑は著書『明治外交秘話』で、舞踏の合間に別室でパンチかビールでのどの渇きを潤しながら話をしたと、その頃の夜会の様子を回想している。

庶民がかろうじて飲めたのは樽ビールのコップ売りである。西洋料理店や牛鍋屋の中にはびんビールだけでなくコップ売りもするところがあった。大びん1本20〜25銭に対してコップ売りは1杯5〜10銭だった。
それでも明治10年代後半にはビールの消費量は増加していった(表2)。輸入と国産を合わせた国内消費は、1883(明治16)年には現在の大びん換算で約104万本(約3,655石)だったが、1887(明治20)年には大びん換算で約755万本(約2万6,561石)となる。さらに明治20年代に登場する大規模ビール会社の出現により、ビールの消費量は増加の一途をたどるのである。
銘柄大びん小売価格
ロンドン、バス社製ビール25銭
スプリングバレー・ブルワリー製ビール20銭
札幌冷製ビール18銭
東京小石川製ビール17銭
東京新橋アラガマネビール17銭

表1 1878(明治11)年における輸入ビールと国産ビールの価格比較(東京府下)
出典:中川嘉兵衛『府下麦酒相場之概略』(明治11年7月12日)ほかによる

生産高輸入高消費量
1883(明治16)年208450658
1884(明治17)年362452815
1885(明治18)年406566973
1886(明治19)年1,1698091,978
1887(明治20)年3,1511,6304,781
1888(明治21)年2,3521,5493,901
1889(明治22)年3,3708004,170

表2 日本国内のビール生産高・輸入高・消費量の推移(1883〜1889年)
(単位:KL)資料:『キリンビールの歴史 新戦後編』

南海亭の品書きが書かれた引札(チラシ)

南海亭の品書きが書かれた引札(チラシ)(東京大学総合図書館 蔵)

富裕層が楽しんだ明治初頭の西洋式社交場

富裕層が楽しんだ明治初頭の西洋式社交場(「横浜異人屋敷之図」/神奈川県立歴史博物館 蔵)


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