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コラム

正岡子規(まさおか しき)1867-1902/愛媛県〈松山藩〉出身

病床でビアホールを夢見た俳人

正岡子規

正岡子規(国立国会図書館 蔵)

正岡子規は、俳句や短歌、随筆、小説など、幅広いジャンルで活躍した明治時代を代表する文学者の1人である。現在の愛媛県に、松山藩士の子として生まれ、東京大学予備門では、夏目漱石、尾崎紅葉らと机を並べた。

東京帝国大学を卒業後、日本新聞社に入社、日清戦争の従軍記者を務めるが、実はそれ以前から、その体は当時不治の病とされていた結核にむしばまれていた。戦地での無理がたたってか、帰国後に倒れ、以後その死までのほとんどを病床で過ごした。

『病牀六尺』は、子規が1902(明治35)年、新聞に連載していた随筆集であるが、その中の5月26日付の記事に、「ビヤホール」に関連する一節が登場する。この頃、子規はすでに寝付いて6〜7年、まったく外出することができなくなってからも1年以上がたっていた。日々移り変わっているという東京の街の様子も、新聞を読み、訪れる友人から話を聞く以外には知りようがない。そんな状況の中、子規は「自分の見た事のないもので、一寸見たいと思ふ物」として、「活動写真」や「自転車の競争及び曲乗り」、「浅草水族館」に「自動電話及び紅色郵便箱」、そして「ビヤホール」などを列挙し、その最後を「〜など、数えるに暇がない」との言葉で締めくくるのである。

ここに挙げられている風物は、みな当時の東京で話題になっていた最新のものばかりであった。ビアホールもまた、この3年ほど前に開業したばかりだった。もはや体験することのかなわないその空気やビールの味を、子規はどんなふうに想像したのだろうか。

身動きすらままならない病の床で、なお創作意欲盛んだった子規は、この随筆を書いてから4か月後、9月19日についに力尽きる。36歳の誕生日を迎えた翌日だった。

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