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酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

コラム

1914年

各地にキリンビアホールが開設

都市部で人気を集めていたビアホールは、大正時代に入ると地方各地に開設されるようになった。東京では、すでに恵比寿ビヤホールができた1899(明治32)年のうちには「新橋々畔にビーヤ、ホールと称ふる飲食店開かれ、極めて簡便にビールのコップ売をなし、傍サンドウィッチ等を備へて、客の好みに応じて羞(すす)めしかば、俄にこれに習ふ者多く、到る処にこれを見ざるはなし」(『東京風俗志』)という状況であった。この人気をうけて、1914(大正3)年、江戸時代の元禄年間より続く時雨蛤(しぐれはまぐり)の本家、三重県桑名の水谷新左衛門は「キリンビーヤホールとなし以て同地のビール愛飲家の嗜好を満たす」(『嗜好』7巻第8号、1914年刊)こととした。

また、伊豆修善寺温泉の桂川の河岸に、洋酒商・大宮源太郎が天幕を張りキリンビアホールを設けたのも、静岡県三島神社の祭礼に、天幕張りのキリンビアホールを開設したのも、いずれも1914(大正3)年のことであった。

大正初期の地方各地におけるビアホール開設の動きは、売り手側の積極的な市場開拓が実を結んだ結果といえるが、その背景には都市風俗の地方への伝播があった。最先端の西洋の文化を取り入れた都市風俗は、地方の人々にとって憧憬の対象であり、導入しようとする動きが出るのは自然なことであった。加えて、鉄道網が発達したことや、日露戦争の兵役でビールの味を覚えた人々が故郷に帰ったことも、ビアホールという都市文化が地方に広がる一因となったのである。
修善寺温泉のキリンビアホール

修善寺温泉のキリンビアホール(明治屋『嗜好』7巻10号 1914年刊)


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