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酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

コラム

1881年

スプリングバレー・ブルワリーで日本人向けのビールが醸造される

1881(明治14)年、スプリングバレー・ブルワリーで日本人に向けたビールが醸造された。スプリングバレー・ブルワリーでは、イギリス風のエールやポーター、ドイツ風のババリアン・ビールなど数種類のビールを醸造、販売していた。当初は、主に居留外国人を対象としていたが、「日本人は年々ビールを飲むようになっている」(コープランド書簡 1882年2月26日付)ことから、コープランドは日本人にもビールを販売するようになった。

また、当時のスプリングバレー・ブルワリーは、共同経営者ヴィーガントとの裁判以降、負債を抱え経営難に陥っていた。こうした状況の打開も含め、コープランドは日本人好みのビールを醸造することを決意したのである。スプリングバレー・ブルワリーのビールを販売していた金沢三右衛門に宛てた書簡(1881年11月24日付)には、「私は特別に日本人向けに醸造した新しい種類のビールを特におすすめします。これは下記の値段で喜んで出荷します。ホッグスヘッド樽(60ガロン入り)15ドル バレル樽(40ガロン入り)11ドル キルダーキン樽(20ガロン入り)6ドル……」とある。ちなみに、金沢はビール販売店開店当初の1875(明治8)年に「東京御恩顧ノ諸君ハ不及申遠近諸国トモ御注文之程奉希候也」(『日新真事誌』1875年10月12日付)と広告を出しており、東京のみならず地方の日本人へも売り込みを考えていた。そのため、コープランドの提案に賛同し、日本人向けのビールを積極的に販売したことであろう。

しかし1884(明治17)年、彼らの努力もむなしくスプリングバレー・ブルワリーは倒産してしまう。その後、この会社の土地と建物を引き継いだジャパン・ブルワリーが、1888(明治21)年に「キリンビール」の製造を開始する。

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