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古代エジプトの壁画に描かれたビールづくり
(紀元前15世紀ごろ) |

石器時代、麦を栽培し、貯蔵するようになった人類は、あるとき手違いから麦を湿らせて発芽させてしまいました。食糧のあまりない時代、発芽した麦を捨てるわけにもいかず"かゆ"にして食べたところ、意外にも普段食べているかゆより甘くておいしかったのです。この麦芽かゆはすぐに普及し、やがてビールがつくられるようになったと考えられています。

古代エジプトやメソポタミアではビールは大事な栄養源であり、気分を高揚させてくれる飲みものでした。醸造の女神様であるニンカシへの賛美歌では、シュメール人の醸造方法が歌われています。古代エジプトでも、ビールはファラオ(王様)から庶民まで、広く飲まれました。ビールづくりの様子を描いた壁画やビール醸造所の模型など、ビールに関する記録が多く残っています。これを見ると、当時すでに数種類のビールがつくられていたことや、ビール醸造の高い技術を持っていたことがわかります。

古代エジプトでは、ピラミッドの建設で働いた人々には、ビールが配給されていました。のどの乾きをいやしてくれる栄養価の高いビールなしには、巨大なピラミッドの建設は不可能だったのかもしれませんね。それにしても、クフ王のピラミッドは10万人がかりで20年以上かかった(※)そうですから、その消費ビール量もさぞ莫大だったことでしょう。
※ギリシアの歴史家ヘロドトスによる。

古代エジプト人にとって、ビールは大変身近な飲み物でした。あるギリシャ人によると、エジプトのビールはアルコール度が高く、ワインと同様、人々が踊り出したり歌い出したりするような高揚した気分にするものだったようです。古代エジプトには、ビールを飲みすぎた人の絵や、飲みすぎを注意する教訓も残されています。「ビールを飲み過ぎるな。良くないことを口走るぞ……」。

ホップがヨーロッパに伝わったのは、5〜7世紀頃、ビール醸造に使用されたのは9世紀頃と言われています。当時、ビールに香味をつける様々なハーブを配合したものをグルートと呼び、グルートの配合法は、独占販売権(グルート権)を持つ領主によって、秘密にされていました。ハーブの一種であったホップはしだいに使用方法が開発され、ホップビールは14世紀以降増えはじめ、グルートビールに代わって、主流となっていきました。
- 関連情報
- ビールのルーツ研究所


![]() 酒神と言えばバッカスですが、ビールの王様と言えばガンブリヌスです。ふつう、ビヤ樽にどっとまたがり、右手にホップの枝、左手にビールの杯を持った長いあごひげの老人として表されています。中世のドイツやフランダースの人々は、ビールの醸造を考え出した偉人、またはホップを使うことを教えた賢者として、限りない尊敬と感謝の念を抱いていたそうです。 |
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