未来のヒント

時間をかけて関わり続けること~建築家 阿部 勤さんの取材をとおして~

インドの修行者から譲り受けた石

インドには、僧侶が石を長い時間をかけて磨いていくという修行があるそうです。阿部さんの自宅のリビングに置いてある、丸みを帯びて手にしっとりと馴染む2つの石。そのひとつは、その修行で磨いたブラフマンダという石で、もうひとつは阿部さん自身が同じように磨きつづけてできた石です。時間をかけて関わりつづけることで、ただの石がただの石ではなくなる、「もの」が自分との関係において「特別なもの」になるということ。この石との関係は阿部さんの生き方そのものを表しています。
現在79歳、現役の建築家である彼の言葉には、そのひとつひとつから、重ねてきた年月の重みが感じられます。なかでも、「歳をとるごとに楽しい人生になっていく、80代の暮らしはもっと楽しくなりそうだ」と話されていたのがとても印象的でした。今回はそんな彼の暮らしをご紹介します。

関係性をつくり出すこと

「つくりながら食べる」を楽しむキッチン

今では一般的な名称になった「ペニンシュラ型キッチン」。その名称は実は、奥様が亡くなられた時に阿部さんが自宅のキッチンをその形に改修し、命名したものだそうです。カウンターから、コンロ、シンクが組み込まれたテーブルが突き出しており、そこにはさらに移動可能な正方形のダイングテーブルがついています。阿部さんはここで、キャスターのついたスツールに座って調理をしながら食事をするそうです。奥様が亡くなって自分一人でも調理や食事をしやすいように改修したキッチンですが、今では多くの仲間も集い、ここで一緒に「つくりながら食べる」ことを楽しむようになったのだそうです。

タイヤ付のスツールを移動させて、食事をつくりながら食べることができるキッチン

キッチンは、阿部さんお気に入りの道具で溢れています。不思議な顔がついたコルク抜き、するりとニンニクの皮を剥くことができるシリコンの筒、半熟卵の頭の部分だけを綺麗にカットする道具、筋子からいくらをつくるためのテニスラケット、炭酸水を手づくりするボトル、ローストチキンを作る時使うタコ糸をしまう丸い木の入れ物、長く使い続けたあらゆる種類の包丁。座って万力を回すことのできる木馬のようなパスタマシーンまであります。旅先で出会った道具、大切な人からプレゼントされた道具、どうしても欲しくて探し回って手に入れた道具など、そのひとつずつと阿部さんとの間に特別な物語があるのです。

小川待子さんのビアカップで飲むビールは一味違う

食器についても同様です。中でも気に入っているのは、個人的にも親交のある陶芸家の小川待子さんによるビアカップ。先端は縄文式土器のように尖っており、カップを受けるための荒々しい地肌の台座も一緒につくられた作品です。一見大げさにも見えますが、このカップは「飲む」という行為に意識を向けさせます。この器で飲むビールは一味違うそうです。こうして、自分にとって特別な意味を持った道具に囲まれ、その道具との関係や思い出を楽しみながら過ごす時が幸せなのだそうです。

木馬のようなパスタマシーン

炭酸やパスタなど、買ってきてしまえば簡単に手に入るものを、阿部さんはいちから自分でつくります。「すべては関係。いかに関わるかです」と、阿部さんは言います。関わることによってモノや空間との関係性が深まります。料理も手間暇をかけると美味しく感じます。建築も同じで、阿部さんはいい関係をつくるために長い時間をかけてつくるのだと言います。

関係性を続けること

庭の緑も自宅と一緒に育ってきた

住いはつくるだけでなく、完成した後も住み続けることによって生み出される関係性が大事です。とても居心地がよい阿部さんの築40年のご自宅は、時間をかけてつくってきた関係の積み重なりの結果なのです。お金がない若い頃に手に入れた場所で、決して利便性のいい所ではありませんが、彼は一度もその場所を動こうとは考えなかったと言います。それはそこに築いた関係性を途切らせたくないからだそうです。阿部さんの設計事務所は、JIA 日本建築家協会の建築25年賞という長く使われてなお価値がある建築に与えられる賞を、個人の設計事務所としてもっとも多い6作品で受賞しています。彼が今まで手がけてきた建築も自宅と同じように、住み手が大切に使い、関係を積み重ねてその価値を発揮して評価を得ているのです。

仕事場やくつろぎスペースもなんとも気持ちがいい

そんな阿部さんにお酒の飲み方についても伺ってみました。
東京の高田馬場に阿部さんが50年通うバーがあるそうです。ふと思い立った時に立ち寄り、2〜3杯飲んで、さっと切り上げる。「バーでちょっと飲むにしても、一見さんではおもしろくないでしょう。馴染みの店になるといいお酒になる。そのための労を厭わないことが大事です」と、阿部さんは言います。長い時間をかけて少しずつ育てていく程よい距離感と関係性が大事なのだそうです。

関係性が変わっていくこと

多くの仲間が集まった時はキッチンの隣のダイニングへ

「お酒は触媒のようなもの。空間、人、道具。それをお酒が繋いでくれます。お酒があることでそれらの関係性が深まります」と話す阿部さんのご自宅にも、たくさんの種類のお酒がありました。お酒が人と人をつないでいくと話す阿部さんですが、そういう彼自身がお酒のように人と人をつなぎ、人とものをつなげているようです。阿部さんのご自宅でも、長い時間をかけて人やものを繋いできたことで空間やものが輝いて見えます。関係性を続けていくことでつくりだされてきた価値が輝きをつくるのかもしれません。

関わることで、自分が変わっていくこともあれば、同時に相手も、またものであっても、先述した石のように、変わっていくこともあるのでしょう。阿部さんの行動や意識が、相手やそのまわりの人、場所や空間をも変えていくように思えてなりません。
建築家として今も現役で活躍し続ける阿部さん。建築というかたちをデザインする以上に、ものともの、ものと人との間の関係性をデザインするという強い意思を感じた今回の取材でした。

阿部勤流
甘党のためのお酒の楽しみ方

料理や会話をひとしきり楽しんだ後に阿部さんが出してくださったのは、たくさんのスピリッツやリキュールと、バニラアイスクリームです。普通のアイスクリームが、かけるお酒によって味わいを変えていきます。味の違いを楽しんだり、自分好みの組み合わせを勧めあったりするうちに、話がまたもうひと盛り上がり。甘党の人や、お酒を飲んだ後の口直しにもお勧めの楽しみ方です。

プロフィール

阿部勤(あべ つとむ)
アトリエ事務所ARTEC代表。環境に馴染み、人に馴染み、年を経ても劣化せず、良くなる豊かな空間の設計を手がける。1985年、「蓼科荘レーネサイドスタンレー」にて第4回日本建築家協会新人賞、「私の家」「五本木ハウス」「美しが丘の家」「賀川豊彦記念松澤資料館」「スタンレー電気技術研究所」「桜台の家」にて日本建築家協会25年賞受賞。
著書に『現代建築/空間と方法2』(1986同朋舎)、『中心のある家 (くうねるところにすむところ―子どもたちに伝えたい家の本)(2005インデックス・コミュニケーションズ)、『暮らしを楽しむキッチンのつくり方』(2014 彰国社)がある。

画像提供:PHOTO BY MIKI CHISHAKI

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