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過去の取り組み

第4回 「食の黒船」の来航-西洋野菜を伝えたオールコック

海を越えて愛された西洋野菜

 私たちの食生活に欠かすことの出来ない、レタスやキャベツ、アスパラガス……。今でこそ頻繁に目にするが、これらの野菜は「西洋野菜」と呼ばれるものである。かつて海を越え渡来した外国人たちによって伝えられ、横浜を発祥の地として、日本全国に広まっていったのだ。
 江戸時代末期、開国を迫る諸外国と江戸幕府との間で修好条約が結ばれ、長崎や函館、横浜などが条約港として設定された。幕府のある江戸と最も距離が近い港町・横浜には、多くの外国人が居住した。それと同時に、ホテルや洋館などの西洋建築、さらに野球やテニスといったスポーツなど、今の私たちの生活に根付いている様々な文化が流入した。
 中でも大きな影響を受けたのが、食文化である。彼らの食する、見たこともないような野菜類は、日本人に大きな衝撃を与えた。
 こうした変革のきっかけを与えた人物の一人が、イギリスの初代駐日総領事を務めたラザフォード・オールコック(1809~1897)である。

日本を愛したオールコック。記録上、初めて富士山に登った外国人としても有名。
(Photo:Imagestate/AFLO)

横浜における栽培の始まり

 医者である父親の元に生まれたオールコックは、父と同じく医学を修めイギリス軍の軍医となる。しかし、その後リウマチに冒され両手親指の自由を失ってしまう。医師としての道を断たれた彼は、語学の教養を活かし外交官に転身。1859(安政6)年、開港した日本に赴き、初代駐日総領事に任命されることとなった。
 彼は、赴任先である日本の庶民の性格や生活に強い関心を示し、その詳細を記録し続けた。それは、駐在する国への外交官としての興味という範疇を越えていた。自身が過ごした江戸や横浜を中心に、各地の農村や市街など多くを巡っている。
 後に、彼は見聞きした日本についての記述をまとめ『大君の都(The Capital of the Tycoon)』として欧州で出版した。この本は今日においても、幕末期の日本を知るための貴重な資料となっている。
 同書は当時の日本の農家の生活や、そこで栽培している作物に関して詳しく書かれており、横浜における、最初の西洋野菜栽培の記述も見ることができる。

当時のイギリス波止場の様子。開港直前に築造された。開港以降は順次拡張工事を重ね、港湾設備が整えられていった。(横浜開港資料館 提供)

「わたしは、日本のこの地方に良質のチシャ注1、キクヂシャ、パセリ、数種類のキャベツとともに、ハナキャベツ注2、芽キャベツ、キクイモを導入することに成功した。横浜のロウレイロ氏は、わたしがイギリスから入手した若干の種から、非常に完全にこれらの野菜ばかりの大きな菜園をつくりあげた」
(『大君の都』ラザフォード・オールコック著、山口光朔訳より)

注1 レタスのこと 注2 葉牡丹のこと

 オールコックは、自身の故郷の味を求めて、祖国より持参した種から西洋野菜を栽培していたのだ。こうした動きは、外国人駐留地の各所で見られるようになる。
 その後、西洋野菜が広まるにつれ、栽培技術を学び、生産する農家が増えていった。横浜の山手地区から始まった栽培は、子安や磯子などの近隣の農村から徐々に全国に広まっていった。

知られざる日本の姿を伝えたオールコック

 オールコックが著した『大君の都』では、日本人の生活や文化に触れるとともに、日本人と欧州人の生き方や考え方、制度の違いについても述べている。日本人の気質については、幕府の対応の不誠実さ、一部の大名家臣の傲慢な振る舞いなどに時折憤慨しつつも、「自分の農地を整然と保っていることにかけては、世界中で日本の農民にかなうものは、おそらくないであろう。(中略)これ以上骨おしみせず、辛抱づよく、勤勉な国民は、ほかにはどこにもいない。」(『大君の都』より)とあるように、非常に好ましいものとして受け取り紹介している。
 生麦事件などによって日本とイギリスの関係が悪化した際には、オールコック自身も浪士に襲撃されている。不安定な情勢の中、総領事である彼には常に危険が付きまとった。それでも彼は自分の目で日本を見つめ続け「日本人はとても親切な民族であり、敵対するべきではない」と本国に献言し、関係修復に努めたといわれる。
 のちには、『大君の都』だけでなく、『日本の美術と工藝(Art and Industries in Japan)』など、日本に関する著作を多く残した。遠く離れた東洋の島国を愛し、その姿を広く伝えた人物として、その功績は多大である。

当時の西洋野菜栽培の様子を描いた図。居留していた外国人が、現地の日本人に西洋野菜の栽培方法を教えたり、種や苗を輸入して渡していたという記録も残っている。(『横浜吉田新田図会』より。横浜開港資料館提供)

 幕末期に流入した様々な外国文化は、その後の日本の方向性、さらには生活文化の形成にも大きな影響を与えた。オールコックが駐在したこの時期は、日本の食文化にとっても重要な転換期となったのである。

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