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TASTE

ENJOY! HOP

地域とKIRINの挑戦。
日本産ホップを通じた新しいビアカルチャーの創造へ Vol.1

「日本産ホップを通じて、遠野から日本の新しいビアカルチャーを創造したい」。そんな想いを胸に抱き、農業、人材育成、観光など様々な面からビールと向き合っている人物がいます。
彼の名前は、浅井隆平。KIRINの『CSV戦略部 絆づくり推進室』に所属する社員です。
CSVとは、Creating Shared Valueの略で、「社会と共有できる価値を創造する」という考え方。社会課題への取り組みによる「社会的価値の創造」と「経済的価値の創造」を両立させ、企業価値向上を実現することを目指しています。
現在KIRINでは、CSV活動のひとつとして、ビールの原料になる日本産ホップの生産量減少という問題に取り組んでいます。
日本産ホップの生産量減少の背景には、ホップ農家さんの高齢化による離農や、新規就農者の減少という社会課題がありました。「ビールづくりに欠かせないホップと、それを育てる農家さんを守り、お客様に喜ばれるビールを作り続けるためには何をすべきだろうか?」。
そんな問題意識からスタートしたKIRINのCSV活動について、「ホップの里」として知られる岩手県遠野市を「ビールの里」にするというプロジェクトを進めている浅井に話を聞いてきました。

PROFILE

CSV戦略部 絆づくり推進室 サプライチェーンチーム 主務 兼 BEER EXPERIENCE株式会社 取締役 副社長

浅井 隆平

RYUHEI ASAI

岩手県雫石町出身。
2003年にキリンビール株式会社入社。首都圏エリアの営業を担当したのち、2009年 株式会社横浜赤レンガにキリンビール株式会社から出向。テナント管理、リーシング、お土産商品開発、イベント担当として、横浜のシンボルである横浜赤レンガ倉庫の商業経営を通じて、横浜市のまちづくりに携わる。2013年よりキリン株式会社CSV本部 CSV推進部 キリン絆プロジェクトチームに帰還。現在は2017年から、キリン株式会社(現:キリンホールディングス株式会社) CSV戦略部 絆づくり推進室 サプライチェーンチームの担当として日本産ホップの生産維持、地域活性を掲げ、日本産ホップのブランド化を通じて、日本のビアカルチャーの発展を推進する活動を担当。

社会課題を解決しながら企業としての事業価値も生み出していく、CSVという取り組み

浅井さんが所属されている『CSV戦略部 絆づくり推進室』という部署について教えてください。こちらはどのようなことをされている部署なのでしょう?

浅井: CSVというのは、簡単にいうと自社と関連性の高い社会課題に対して、事業を通じて解決に取り組んでいくという活動です。僕たちは、その戦略部として、KIRINが事業を通じて、どんな社会課題に取り組めるかを考えています。
今ではCSVに取り組む企業も随分増えましたが、KIRINにCSVの部署ができたのは2013年で、日本ではかなり早いタイミングでした。

CSVに取り組むことになった背景には、どのような考えや意図があったのでしょうか?

浅井: 社会にとって必要とされる会社であり続けるためには、どのような企業であるべきかを考えるようになったということですね。
これは僕なりの解釈なんですけど、2100年には人口が5,000万人になるともいわれている日本で、KIRINはそのときに何のために存在していて、どういう商品やサービスをつくり、お客様はどんなベネフィットを得て、「日本にキリンが在り続けてくれてよかった」と思っていただけるかというのは、今いる社員から考えていかなきゃいけないことだと思うんです。

これから先も社会にとって必要とされ続ける企業であるために。

浅井: そうですね。なんだか難しそうに捉えられがちですけど、本当はとてもシンプルで、「今から未来を見据えて、社会の課題にも向き合いながら、お客様にとって必要とされる企業であり続ける」ということなんです。そういうイメージを、社員ひとりひとりが持っておくことが重要だと思っています。

浅井: とはいえ、最初は僕も「CSVって何?」という状態でした(笑)。CSV戦略部に配属される前は4年ほど違う部署に出向していまして、KIRINに戻ったときには、浦島太郎状態だったんです。KIRINが今どんなことを考えて、何を目指しているかっていうのがわからなくて。最初にCSVって言われたときには、「コンビニ担当ですか?」って思ったくらいで(笑)。

一同:(笑)。

浅井: よくよく聞いたらまだ新しい部署で、その中には「復興応援 キリン絆プロジェクト」というチームもあって、当初は東日本大震災の復興支援を行うチームに配属なりました。それで僕は、KIRINが主催する「東北復興・農業トレーニングセンタープロジェクト(以下、農業トレセン)」に参加することになったんです。
そこで僕は、東北の農業経営者と東京のビジネスパーソンが、お互いの経験やスキルを持ち寄ることで、新しい農業の形を見つけるプロジェクトに取り組むことになりました。

「農業トレセン」とは、岩手、宮城、福島で農業経営者の育成を通じて、これからの時代の経営の仕組みや地域の意義を生み出すことを目的としたプロジェクト。 これと並行して、東京では「丸の内朝大学」というビジネスパーソンが参加する復興プロデューサークラスが発足し、それぞれの参加者が協力しながら、新しい農業ビジネスの創出に挑戦するという取り組みが行われた。

農業経営とビジネスパーソンを繋いだ「農業トレセン」

農業トレセンでは、具体的にどのようなことをされていたんですか?

浅井: 農業トレセンは、単なる学びの場ではなく、必ずアウトプットを出すことになっているんですよね。そこで僕と一緒にプロジェクトを立ち上げたのが、岩手県の遠野市で農家をされていた吉田敦史さんでした。
吉田さんは、もともと東京の大手広告代理店に勤務していたこともあって、ビジネス的な感覚で農業を捉えている方だったんです。それでなんとなく感覚が合うなと思って話をしていたら、スペインでビールのおつまみとして親しまれているパドロンという野菜をつくっていることを知って。実際に、見学させてもらいに行きました。

遠野市でパドロン農家を営む吉田敦史さん

浅井: パドロンを食べさせてもらったらすごく美味しいし、何よりホップの産地でビールに合うおつまみ野菜を作っているというのが面白いなと思って。CSVの観点から考えたときに、キリンビールが半世紀以上も、契約栽培をしているホップの一大産地、遠野でパドロンという野菜をブランド化していくことはすごく意味があることかもしれないと思ったんです。
それで吉田さんや、「丸の内朝大学」のメンバーと一緒に、「遠野パドロンブランディングプロジェクト」というのを立ち上げて、デザイナーのメンバーとロゴを作ったり、ブランド名を「遠野パドロン」と定めたり、マーケターのメンバーとプロモーションを考えたりしていきました。当時は業務外のプロジェクトとしてやっていたので仕事のあとにみんなで集まってやっていました。

それぞれの特技を活かしてプロジェクトを進めていったんですね。

ホップ生産の中心はドイツと北米です。一方で、日本では立地条件から大規模栽培ができないため、生産量がわずか0.2%しかありません。さらに、農家の高齢化や後継者不足といった要因から、日本産ホップの生産量は過去10年で半分にまで減少しています。
浅井: はい。その後、遠野パドロンをビールのおつまみ野菜として売っていこうというフェーズになり、どうやって販路を拡大していこうかという話になったときに、「これは、いよいよKIRINの出番だな」となりまして(笑)。

吉田さんの農園で栽培されている遠野パドロン。素揚げやフリットで食べるのが、本場ヨーロッパのスタイル。

浅井: そこでまず、生産者の想いが詰まった食材を使ったメニューを提供している『キリンシティ』にプレゼンをしに行ったんです。「グループ会社だから使ってよ」ということではなく、ちゃんと作り手の想いを伝えて、お互いに納得のいくかたちで取り扱ってもらいたかったので、しっかりと提案書も作りました。
その熱が伝わって『キリンシティ』で遠野パドロンを取り扱ってもらえることになり、その結果KIRINの社員が遠野パドロンを口にする場ができて、ようやく僕がやっていることが社内で理解してもらえるようになったんです。

浅井さんが何をやっているかということが。

浅井: はい。それまでは、「浅井は農家になったの?」とか言われていましたからね(笑)。

仲間が欲しかったから、
夢を語り続けた

浅井: 多くの方の協力によって。遠野パドロンは徐々に知られるようになっていったんですけど、そうした最中に遠野市から吉田さんに「ホップも栽培してくれないか」という話がきたんです。
遠野は日本産ホップの一大産地ですが、高齢化による離農者も増え、担い手不足が深刻化していて、テコ入れが必要な状況に立たされていたので。

ホップ産業が廃れつつある現状を、遠野パドロンを盛り上げた実績のある吉田さんに打破してもらいたいと。市から直々にご指名があったんですね。

浅井: そうなんです。「あなたたちは東京のビジネスパーソンとのネットワークで、遠野に存在しないリソースを集めてプロジェクトが推進できる。そのやり方を、ホップの未来に注いでくれないか」という話だったんです。 だけど、僕は吉田さんにやめたほうがいいと言いましたね。

止めた? なぜですか?

浅井: まだ遠野パドロンのプロジェクトがはじまって1年くらい。やっと『キリンシティ』での取り扱いも決まり、「さぁ、これからだ」というときだったんです。だから、今は遠野パドロンに集中しようと言いました。ホップを始めるのは、2、3年後でもいいじゃないですかって。

なるほど。事業を広げるのではなく、まずは遠野パドロンだけに集中しましょうと。

浅井: ええ。だけど、結果的に吉田さんは「俺はやる」と決心したんですよね。
やっぱり吉田さんも東京から移住してきて、どこかよそ者として見られている感覚があったんだと思うんです。そんな中で、市が遠野にとって重要な作物の未来を託してくれたというのが嬉しかったみたいで。

地域の課題を解決し、なおかつ自分たちの事業価値も生み出すというスタンスって、まさにCSV的な考え方ですよね。

浅井: そうなんです。だから、それを聞いたとき、僕も腹くくりますと伝えました。実は僕も岩手出身なので、やるからには徹底的に取り組もうと。

浅井: ただ、いきなりホップの栽培をはじめるといっても人手が足りないじゃないですか。ホップ農家さんの高齢化による離農や、新規就農者の減少が深刻化している状況だったので。そこで僕たちは、農業に興味のある人が集まる「新農業人フェア」というリクルートの場に出向いたんです。

遠野に移住して、ホップ農家になってくれる人を探しにいったわけですか。

浅井: そうですね。そこで、僕らは現状を悲観するような話は一切せず、夢を語り続けました。
遠野は“ホップの里”と呼ばれているが、これからはブルワリーを創設するなど、“ホップの里”から“ビールの里”になることを目指している。そのために、僕たちは“仲間”を探しに来ました」と。その結果、埼玉から1名が遠野にやってきてくれることになったんです。

浅井: そういう地道な活動の甲斐あって、今では12人の若者が遠野に移住してきて、ホップ農家として活躍しています。
彼らに「なんで遠野を選んでくれたの?」と聞くと、「ホップが魅力的だから」とか「作った分は全量買取だから」といった理由ではなく、「遠野に行ったら、“仲間“ができるってわかったから」って言うんですよね。

仲間ですか。

浅井: たぶん、それが本質的な課題なんです。縁もゆかりもない場所に移住する怖さって、行った先で仲間ができるかどうかなんですよ、きっと。だけど、新農業人フェアみたいな場で、「この街に行けば仲間はできますか?」なんて聞けないし、人にもなかなか相談できないじゃないですか。
僕らが夢を語ったのは、結果的に移住希望者の心の課題を解決していたんだなと、後になって気がつきました。

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