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水をめぐる物語 みずのたま 高山なおみ

illustration = YOSUKE YAMAGUCHI

The power of water volvic おいしさの源 水源地を訪ねて

水をめぐる物語 みずのたま 高山なおみ

illustration = YOSUKE YAMAGUCHI

 ゆうべあたしはちょっと不思議な夢をみた。トイレに起きて二度寝したときの夢。外はまだ暗く、カーテンをめくったら下の道路が濡れていて、よく見えなかったけど細かい雨が降っているみたいだった。あたしの部屋はアパートの3階なので雨の音が遠い。水たまりができると跳ね返りの音がかろうじて聞こえてくるけれど、アスファルトの道路には水たまりなんてそうそうできないから。

 そう、夢の話。

 はじめは小さな玉がぷかぷか宙に浮かんでた。ピンクと薄紫と、黄色の5ミリくらいの玉。イクラみたいなんていうとちょっとイメージがくるっちゃうからいやなんだけど、ひと粒ひと粒に顔が映りそうなくらい光った色つやの感じとか、口の中でプチッとなって、あふれ出す液のとろみ加減とか、そっくりだった。その玉があたしの胸やお腹のあたりにときどき下りてきて、体に触れるとはじけ、同時に消えてなくなって、ほのかなやさしいいい匂いだけが残る。そのくり返し。玉がはじけるとき、かすかな音がしていたような気がする。なんだかあたしはその玉に、体をさすってもらっているみたいな感じがした。夢のなかのあたしはお腹の上にたたんだ布をのせて寝ていた。ネルのパジャマみたいな柔らかな布。いい匂いの玉は、その布の折り重なった隙間のところから出ていたみたい。そしてその布のたたみ方は、おばあちゃんが教えてくれた。

 へんな夢。今思うと、雨のせいだったのかなって思う。おばあちゃんが夢に出てくるのもひさしぶりだった。あたしが22歳のときだから、亡くなってそろそろ5年がたつ。

 おばあちゃんといた家は木造の平屋で、雨の夜には屋根を伝って落ちてくる水の音がした。お姉ちゃんが2段ベッドの上に寝ていて、あたしは下で、ちょうどあたしの枕もとのあたりに雨樋あまどいの先があった。目をつぶって音を聞いていると、ひとりぼっちで水槽のなかにいるみたいな気持ちになった。そのうち眠たくなってきて、あたしは自分のお腹のなかにある泉にもぐる。

 泉のことは、小学校2年生のときにおばあちゃんから教わった。

「カコちゃん、ひとのお腹のなかにはね、みんなにひとつずつ泉があるの。お姉ちゃんにも、お父さんにも、おばあちゃんにもあるんだけど、みんな少しずつ形がちがうんだよ。カコちゃんのお腹のなかにもとっても小さな泉があって、奥の方からきれいな水が湧いてくる。それがゆっくりと体をめぐって、お腹がすいたり、歌を歌いたくなったり、急にスキップしたくなるような楽しい気持ちになったり、お友だちとさよならするときには淋しくなって、帰り道で涙がこぼれたりね。カコちゃんがいろんな気持ちになるのはとってもいいこと。でも、何か困ったことがあったらお腹に手を当ててじっとしていてごらん。どうしたらいいか、カコちゃんだけの泉が、ちゃんと教えてくれるよ」

 約束をしていた時間。

 もしもきのう電車に乗って、佐々木さんたちに会っていたら、起こったかもしれないこと。

 その、なくなった時間は、いったいどこへいくのかな。

 佐々木さんから電話があったのはおとついの夜。あたしはバイト先のまかないカレーを食べ終わったばかりで、ティッシュで口をぬぐいながらお皿を流しに運ぼうとしていたところだった。

「頼むよカコちゃん、小さめのイラストが8点と、ちょっと大きいのが2点だけ。あんまり余裕ないんだけど、カコちゃんだったら描けるだろ?いつもみたいにサクッとやっちゃってよ」

 こういうときの佐々木さんの声は、素っ頓狂なくらいに大きい。あたしはスマホを耳から離し、できるだけ間をあけずに「はい、分かりました」と答えた。

 佐々木さんはファッション雑誌の編集者だ。別の会社で編集の仕事をしている姉が紹介してくれたおかげで、趣味で絵を描いているだけのあたしなんかのところにも、ぽつぽつとイラストの仕事をいただけるようになった。

 なのにあたしはきのう、打ち合わせに行かなかった。38度7分の熱が出てお腹をこわしています。咳も出るし、みなさんにうつしてしまってはいけないですから……ってことにして、佐々木さんにメールを打って、それっきり電話には出なかった。何度か返信があったみたいだけどいっさい見てない。お昼過ぎまで寝て、ジャージのままキャップだけかぶってコンビニヘ行った。卵サンドとツナサンド、ポテトチップスはサワークリーム味のと、ちょっと迷って青のりのも両方カゴに入れ、あとは杏仁豆腐とペットボトルの水を買った。そして、2階にあるレンタルビデオ屋さんでDVDを借りた。

 そのDVDは、橋の上で生活しているホームレスの恋人たちが出てくるフランス映画。あたしはこれを何度ここで借りたかしれない。好きなシーンはいくつもある。いちばん好きなところは、赤ワインを飲んで酔っぱらったふたりが、バンバンと盛大に花火が上がる夜空のもと、橋の上で叫びながら踊りまくる場面。そこにくると、お腹の底から熱いかたまりみたいな息が上ってきて、あたしも一緒に叫びたくなる。

 そう、ウドのことがひっかかっていたのだ、あたしはずっと。ウドというのは野菜のウドだ。

 先週の金曜日、イラストを担当したエッセイストの横山さんとの会食のとき、春野菜の天ぷらを食べた。そこは目黒川沿いにある和食のお店で、春になると、ライトアップされた桜を見ながら食べたり呑んだりできる佐々木さんがお気に入りの高級居酒屋だった。春野菜の天ぷらは、芽キャベツやさやえんどう、アスパラガスのほかにウドも盛り合わせてあった。「カコちゃん、ウドがあるよ。食べなさいよ」と、佐々木さんはあたしのお皿にずんずん取り分けたのだった。

 天ぷらの前には生の水菜のサラダが出た。そのサラダにもウドが入っていたのだけど、梅干しを細かくほぐしたのと柚子こしょうらしきものがドレッシングに混じっていて、そっちの方に気が入っていたあたしは、ウドのことを大根かと思って食べていた。

 佐々木さんが、「うまいよなあウドって。おふくろがワカメと一緒に酢みそで和えるのをよく作ってくれたんですよ」と唸るように言ったとき、あたしは思わず「え、ウド?」とつぶやいた。

 そのときに佐々木さんが言ったのだ。

「カコちゃんウドも知らないの? ウドは今しか食べられないんだよ。この香りも、シャクシャクした歯触りも、なんともいえないだろう。ウドの大木って聞いたことない? 図体ばかり大きくて役に立たない奴のことをそう呼ぶの」

 自慢じゃないけどあたしは料理が苦手だ。でも、ウドの酢みそ和えはおばあちゃんの十八番おはこだったし、先っぽの芽のところはみそ汁にもよく入っていたから、その微妙な香りやほろ苦い味くらいは知っている。ウドの大木だって知っている。でもあたしは受け流した。それよりも佐々木さんの、「役に立たない」という言葉にひっかかっていた。

 役に立たないものなんて、ほんとにこの世にあるのかな。

 あたしはどんなものだって、そこにある限り、何かと何かがからまって、ぜんぶが役立ち合っていると思う。「役に立っている」とかわざわざ言ったり、思ったりするのもへんだなって感じるくらい。

 佐々木さんはもしかすると、人のこともそんなふうに思っているのかな、あたしのことも。

 ウドの一件を思い出し、打ち合わせのあとまた佐々木さんたちとどこかで飲み食いしているであろう図を想像したら、気が重くなった。言っておくけど仕事の約束をドタキャンなんて、いつもいつもそんなことをするあたしではない。ただ、なんとなく、きのうは誰にも会いたくなかった。どうしても。お姉ちゃんに知れたらまた怒られるんだろうな。

 お姉ちゃんはきっと言うだろう、「カコちゃん、やりたくないこともやらないといけないのが仕事なのよ」って。

 あたしが東京へ越してきたのはおととしの春だから、そろそろ2年になる。それまでは京都に住んでいた。母はあたしを産んですぐに病気で亡くなったので、ものごころついたときには父と姉と3人で暮らしてた。父は中学校の先生をしていて、土、日しか休みがなかったけれど、掃除でも洗濯でも料理でもたいていのことは何でもこなせたし、あたしたちも家事を手伝った。お姉ちゃんが料理の担当で、あたしは掃除や洗濯、あとゴミを出す係。おばあちゃんが歩いて5分のところに住んでいたので、あたしとお姉ちゃんは、おばあちゃんの家と実家とを半々くらいの割合で行き来し、小学校も中学校も高校も両方の家から通った。

 高校を卒業したあたしは、スーパーのお総菜売り場でバイトをはじめた。パートのおばちゃんたちがこしらえた、キンピラゴボウやポテトサラダやおからなんかをパック詰めにするのが主な仕事だった。

 絵を描きはじめたのは、お総菜のポップを描いてくれと頼まれたのが最初。クレヨンと色鉛筆で適当に描いたら、思いのほかおばちゃんたちにウケ、週に5回はお総菜を買いにくる中学の同級生のお母さんにもほめられた。おだてられるままあたしは、里芋の煮っころがしや、コロッケ、鶏のから揚げ、八宝菜なんかの日替わりのおすすめ品を毎日3種類ぐらいずつ描いていた。そのうち食べ物の絵を描くのがおもしろくなってきて、日記がわりになんとなく自分の食べたごはんの絵も描くようになった。おばあちゃんが作ってくれたごはんも、父のも、姉のも、外食したときにも、食べる前にスマホで写真を撮っておいて、夜、自分の部屋でテレビを見ながら描く。おばあちゃんは、あたしのごはん絵日記をとても楽しみにしていた。

 父には長いことつき合っている女のひとがいた。そのひとはすみれさんといった。すみれさんはもともと父の職場の同僚で、英語の先生をしていたのだけど、途中でやめ、ご両親の介護にかかりきりになった。ときどき息抜きをしに週末なんかに遊びにくると、庭の植木の剪定をする父を手伝ったり、洗濯ものを干してくれたりした。そのうちすみれさんのご両親も亡くなって、父はいよいよ再婚することを決めた。それで思い切って、とっくにひとり暮らしをしていた東京の姉を頼り、あたしも引っ越してきた。今は姉のマンションの近くのアパートでひとり暮らしをしながら、本屋さんとカフェとギャラリーが一緒になったお店でバイトしている。週に4日働くのがだいたいのペースだけれど、イベントが重なると毎日のこともある。

 カフェで働いているのはみんな気持ちのいい人たちばかりだ。いつも爪の間に絵の具が挟まっている芸大の男の子(あたしはこの子のこと、ちょっといいなって思ってる)もいるし、パンを焼くのが得意な主婦もいて、保育園の娘さんが遊びにくると、あたしはちょくちょく相手をしている。ごはん日記のファンのマスターからは、「カコちゃんの絵の展覧会、そのうちここで開こうよ」と誘われている。

 カフェは自転車で通えるところにあるけれど、イラストの仕事の打ち合わせのために電車に乗らなければならないときには、気合いを入れて出掛ける。東京は関西にくらべて人と人との距離が近い。人口密度が高いっていうのはこういうことかって思う。人との間に隙間がないから、みんな自分の体の輪郭線を太くして、どうにかこうにか保っているようにあたしには見える。輪郭を描いているのは、太くてやわらかい鉛筆じゃなくて、2Hみたいな硬い芯の細い鉛筆で、ぎしぎしと力を入れて重ねている感じ。電車のなかで何か変わったことが起こると、たとえば足をちょっとだけ踏んでしまったり、前の人のカバンの端っこがあたしの体に当たったりすると、その人はものすごくびっくりしたみたいな怯えた顔をして、すぐに後ろを振り返る。改札からホームまで向かう地下道でも、とてもたくさんの人たちが流れるように移動している。鰯か何かの魚の大群みたい。あたしはそこから落ちこぼれないようにしようとすればするほど、人とぶつかる。

 冷蔵庫を開けて青いキャップをはずし、「Volvic」をラッパ飲みした。パッケージの緑色は、ピュイ・ド・ドームという休火山なんだって、おばあちゃんが前に教えてくれた。おばあちゃんは若かりしころ、フランスのクレルモン・フェランというところに住んでいた。そこは、火山岩でできた建物が建ち並ぶ落ち着いた街で、黒ずんだ壁をしたとんがり屋根の、なかに入るとすばらしいステンドグラスがきらめいている古い教会もあったらしい。なだらかな坂のあちらこちらには石の水槽があって、しじゅう湧き水がほとばしり出ていたって。その冷たく澄んだ水のおいしかったこと。水源は今でもピュイ・ド・ドーム火山の下にあるそうだ。

「朝の散歩には、いつもヤカンをぶら下げていったものよ。お茶でもコーヒーでもそのお水でいれると、そりゃあ柔らかいやさしい味がするの。ヤカンへ汲む前に、まず両手の平でこうして受けて、一杯、二杯とね。毎朝その水を飲んでると、のどを転がっていくのがわかるの。ひと粒ひと粒のなめらかな水の玉が、すーっとしみ込んで……。前に、カコちゃんに体のなかの泉の話をしたことがあったでしょう。その水が私の泉に落ちるとね、こんどはそこから指先に届いて、体のすみずみまで透き通るような気がしてくる。でもねカコちゃん、毎日はそういう日ばかりじゃない。水が体に入っても何とも感じない日は、私のどこかがゆがんでいる。水はそういうことを教えてくれるの。カコちゃん、水ってのはすごいものよ」

 子どものころからその話を聞くたびに、あたしはいつも『アルプスの少女ハイジ』のアニメを思い出していた。おんじの山小屋の裏にある、木をくりぬいたみたいな大きな水槽の水。風が吹くと枝を揺らして歌う立派なもみの木の下で、ハイジは毎朝、その冷たい水を両手にすくって、ゴクゴクとのどを鳴らしながら飲んでいた。

 おばあちゃんの家の近くにもおいしい水があった。京都は湧き水が豊富だからあちこちにそういう場所をみつけられるのだけど、そこは、公園の隣にあるマンションの壁のところに、とってつけたような蛇口がついていた。近所の人たちが空のペットボトルを自転車に積んでやってきては、昼間でも夜でもそこに並んで水を汲む。足腰が立たないようになってからは、あたしもおばあちゃんのかわりによく汲みにいった。

 あたしが知らないだけかもしれないけれど、東京には湧き水が出るところがほとんどない。だからあたしはコンビニで買う。おばあちゃんが住んでいたクレルモン・フェランの湧き水を飲んでいるつもりになって、「Volvic」を飲む。

 そうだ、ゆうべ映画をみながら食べた、卵サンドとツナサンドの写真を撮っておいたんだった。あたしは日記帳を取り出しサンドイッチの絵を描きはじめた。サワークリーム味のと青のりのポテトチップスも描いた。描いているうちに、父の得意な卵サンドの味を思い出した。

父のはゆで卵ではなく、ホロホロに炒った卵をマヨネーズで和えてあった。マヨネーズは少なめで、塩もこしょうも入っていない。ほんのり甘いロールパンのまん中の切り込みに、こんもりと盛り上がったやさしい味の炒り卵。作りたては湯気がふわふわ上がって、姉とあたしは大きな口を開け、パクついた。

 描き終わると、あたしはいつものように絵の脇にひとこと添えた。日記なんだから本当にあったことを書かないと意味がない。

 “3月20日 春分の日 仮病をつかって約束をやぶった。コンビニのサンドイッチは、なんだかしょっぱかった”

 洗濯でもするか……と立ち上がったあたしは、ハンガーにかけてあるジャケットのポッケにハンカチを入れっぱなしだったことを思い出した。

「あっ!」

 ハンカチを取り出したとき、床にこぼれ落ちたもの。あたしはその拾いもののことを、ずっと忘れていた。

 そうだ、これだった。夢に出てきたあの玉は、なんか見覚えがあると思っていた。

 それは先月、あたしが公園のベンチに座ってぼーっとしていたときにみつけた。玉はまん丸ではなく、何かの結晶みたいな角ばった形をしていて、ピンク、薄紫、黄色いのがボンドか何かで三角形に張り合わせてあった。側溝のすみっこで、落ち葉にまみれていたのをつまんで、女の子たちがつなげて遊ぶアクセサリーのキットなのかなぁ、なんて思いながらあたしは手の平で転がし、目をとじて匂いをかいだ。そのときにふと、おばあちゃんの笑顔が見えたような気がしたんだった。

たかやま・なおみ●1958年静岡県生まれ。料理家、文筆家。著書に『日々ごはん』『フランス日記』、夫・スイセイとの初の共著『ココアどこ わたしはゴマだれ』ほか。また『野菜だより』『料理=高山なおみ』など料理本も多数。絵本に『どもるどだっく』『たべたあい』『ほんとだもん』(共に絵・中野真典)。

The power of water volvic おいしさの源 水源地を訪ねて

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