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歴史人物伝 歴史人物伝

日本のビール醸造の開拓者たち

ウィリアム・コープランド

ウィリアム・コープランド

日本で初めて産業として継続的に
ビールを製造した「日本ビール産業の祖」
William Copeland、1834-1902/ノルウェー出身
スプリングバレー・ブルワリー初期の陶製びん

スプリングバレー・ブルワリー初期の陶製びん

明治時代の初め、横浜を中心に、ある飲み物が話題となっていた。スプリングバレー・ブルワリーでつくられたビール。日本で初めて継続的に醸造された商用ビールである。
醸造者はノルウェー出身のアメリカ人技師、ウィリアム・コープランド。天沼の湧水を用いたそのビールは、横浜在留の外国人たちに評判を得て東京や長崎など他の都市にも出荷されるようになり、やがて日本人にも飲まれるようになっていった。しかし、醸造が成功するまでの道のりは決して平坦なものではなかった。一流の醸造技術を備えていたコープランドだったが、当時の日本には、ビール醸造のための設備もなければ原料もない。その上、動力の確保すら難しかった。しかしコープランドは工夫を凝らし、諸問題を克服していく。

まず横浜の天沼にビールづくりに最適な水を見つけると、池に流れ込む湧水を動力とする麦芽粉砕用の水車を設置し、動力を確保した。また、麦汁を冷却する冷凍機がないため、10〜3月の寒冷期に仕込みを行った。1876(明治9)年、フランスの細菌学者・パスツールが低温殺菌法の適用についての論文を発表すると、翌年にはその手法を取り入れ、実用化していることも注目に値する。
1884(明治17)年、スプリングバレー・ブルワリーは経営不振に陥り、倒産してしまう。しかし彼のもとで修業を積んだ日本人醸造者たちが全国へと飛散し、ビール国産化の流れを形成していく。コープランドが灯したビール産業の灯火はやがて日本全土を照らし、この国の食文化をより豊かなものへと誘うことになる。スプリングバレー・ブルワリーの土地と建物は、日本在住の外国人経営の会社であるジャパン・ブルワリーに引き継がれた。このジャパン・ブルワリーによって、1888(明治21)年に「キリンビール」が発売されたのである。
スプリングバレー・ブルワリー初期の陶製びん

スプリングバレー・ブルワリー初期の陶製びん


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