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テーマ別解説

ビール広告の歴史

(2)時代を映したアート
外国人居留地を研究するH・S・ウィリアムス氏は「日本のビール由来記」という論文で、幕末に神戸の摩耶山を訪れた外国人旅行者が、茶店で寺社のお札に混じり、イギリスのバス社の三角の広告が下がっているのを見た、というエピソードを紹介している。この広告がどこからもたらされたのかは明らかではないが、日本の飲食店にビールの広告が飾られた最も初期の例といってよいだろう。

国内産ビールの多色刷りポスターやちらしが登場するのは明治20年代以降である。日本では江戸時代から木版印刷による引札、錦絵などが広告に用いられてきたが、木版は一度に1,000枚以上を印刷することが難しく、数の面では新聞広告に劣った。しかし、当時の新聞広告はカラー印刷ができず、スペースも限られていたため、江戸時代の引札や錦絵で活躍した絵師や摺師の彩色技術は、石版印刷の引札、ポスターに受け継がれた。

ビールのカラーポスターが早くから貼られた場所としては、駅の待合室があげられる。「キリンビール」の額縁付きポスターは、発売翌年の1889(明治22)年、新橋駅と上野駅の待合室に飾られた。当時は「ポスター」という名称はまだ用いられず、「絵ビラ」、「絵看板」と呼ばれていた。「キリンビール」のポスターは1901(明治34)年には全国の主要駅を飾るまでになったが、当時駅に貼られていたポスターは現在は残っていない。

明治中期までは新聞広告のイラストも引札のイラストも江戸時代から続く画風のものが多かったが、20世紀に入ると構図や色彩、題材も西洋絵画風になっていく。1903(明治36)年、3人の西洋人男性が杯を傾ける図柄の「キリンビール」のポスターが製作された。これはイギリスのスコッチ・ウイスキーのポスターデザインを参考に作ったもので、石版刷りを用いた西洋的な色彩・タッチで描かれている。その後、さらに印刷技術が発達し、ビールのポスターもさらに豊かな色彩になっていく。

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