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酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

テーマ別解説

「ビール」という日本語の由来

(1)「びいる」の登場
英語ではBEER(ビア)、ドイツ語ではBIER(ビーア)、フランス語ではBIERE(ビエーレ)、中国語では啤酒(ピーチュー)と呼ぶ酒を、日本人はなぜ「ビール」と呼ぶのか。その理由は江戸時代の貿易と関係している。
江戸時代、唯一日本と貿易を続けた西洋の国はオランダである。オランダ人は出島で母国と同様に生活することが許され、ワインやビールを持ち込んでいた。オランダ人は年に一度、出島のある長崎から江戸に参府する際にも、道中で飲む分はもちろん、幕府への献上品としても西洋の酒を持ち運んでいた。オランダ商館長と幕府の役人による対話を阿蘭陀(おらんだ)通詞(通訳兼商務官)、今村市兵衛と名村五兵衛が記録した『和蘭(おらんだ)問答』(1724年)には、オランダ人の飲む酒のことも記されている。

「酒はぶどうにて作り申候。又麦にても作り申候。麦酒給見申候処、殊の外悪敷物にて、何のあぢはひも無御座候。名はビイルと申候」(『和蘭問答』)


このようにオランダ語のBIERの音を日本の文字で表記したのが「ビール」という語の由来である。
『和蘭問答』が刊行された時代の将軍は徳川吉宗である。奢侈を禁じたことで有名な吉宗は、実社会に役立つ学問、実学を重んじ、蘭学を学ぶことを許した。それによって通詞だけでなく西洋の博物学、西洋医学などを勉強する人もオランダ語を学習するようになった。
18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍した蘭学者・大槻玄沢(げんたく)『蘭説弁惑』(1788年刊)には、「又別に『びいる』とて麦にて造りたる酒あり。食後に用るものにて、飲食の消化をたすくるものといふ」という一文がある。玄沢は、現在の東京・京橋に開いた私塾・芝蘭堂で、太陽暦の正月に「阿蘭陀正月」と呼ばれる祝宴を行った。その様子を門弟が「芝蘭堂新元会図」と題して描いている。そこには種々の洋酒のびんや酒器が描かれており、ビールも「阿蘭陀正月」で飲まれていたかもしれない。
復元された出島の料理部屋

復復元された出島の料理部屋(長崎市文化観光部出島復元整備室 提供)

大槻玄沢著『蘭説弁惑』

大槻玄沢著『蘭説弁惑』(早稲田大学図書館 蔵)。当時のビールを飲む器が描かれている(右から2番目の器)


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