酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

時代別解説

昭和24年〜昭和45年(1949〜1970)

生活にとけこむビール

(1)自由販売が再開し、ビアホールも復活

第二次世界大戦で日本経済は壊滅的な打撃を受けた。終戦直後、人々は激しいインフレに悩まされ耐乏生活を強いられた。だがこの時期を過ぎると日本経済は上昇に転じ、日々をいかに過ごすかに精いっぱいだった人々も少しずつ復興への手応えを感じていった。 1949(昭和24)年5月には、ビールの自由販売が再開された。公定価格制度は続いていたが、値上がりが続いていたビールの価格もこの頃になってようやく落ち着くようになった。1949(昭和24)年5月に大びん1本130円とされた公定価格は、同年7月には配給が始まって以来初の値下げとなり、大びん1本126円50銭となった。それでもビール2ダース程度を買うと、銀行員の初任給がなくなってしまうようなぜいたく品だった。 同じ年の6月から、東京都内のビアホールの営業が再開された。最初は午後2時から8時までの営業で、ビールの価格は500mlで150円程度だった。当時としてはかなり高い値段だが、人々は久しぶりのビアホールの再開にわきたった。 また1949(昭和24)年11月まで、ビールのラベルには「麦酒」と書かれただけの統一商標が使われていたが、12月からは商標が復活し、「キリンビール」などのラベルがびんに貼られるようになった。 1954(昭和29)年には、製造、販売とも自由競争の時代に入った。ビール需要も急増し、1959(昭和34)年には、ビールは酒類別の出荷量で初めて首位となった。その後もビールの出荷量は驚異的な伸びを続け、4年後の1963(昭和38)年には全酒類の50%以上を占めるようになった。
ビアホール

1949年、ビアホールの営業が再開された。


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