酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

時代別解説

江戸時代後期〜幕末(〜1868)

日本人とビールの出会い

(4)黒船船上における祝宴と日本人のビール試醸
1853(嘉永6)年の“黒船来航”によって、日本は大きな転換期を迎えた。翌1854(嘉永7)年3月には日米和親条約が調印され、ついに幕府は開国を受け入れた。
条約調印交渉の際、ペリーが幕府に「アメリカ産の酒三樽」を献上したという記録が残されている。また、条約調印を祝し、黒船の船室や甲板では日本側官吏を招いて祝宴が開かれた。日本側の資料には、「土色をしておびただしく泡立つ酒」など、このとき幕府に献上された幾種類ものアルコールについての記述がある。この「土色をしておびただしく泡立つ酒」とは、おそらくビールのことであろう。

この黒船来航と同時期に、蘭学者・川本幸民が日本人として初めてビール醸造を試みたといわれる。川本幸民は「化学」という言葉を広めた人物で、ドイツの農芸化学者シュテックハルトの著書『化学新書』のオランダ語版を日本語に翻訳した。この中にはビールの醸造方法が書かれており、温度の設定、発酵の様子、上面発酵と下面発酵の違いをはじめ、ビールの醸造法が詳細に解説されている。幸民がビールを醸造した記録は現存しないが、『化学新書』の記述が詳細であることから、自らビールを試醸した上で、ビールの醸造法を記したのではないかと考えられる。

資料が現存しないため確認はできないが、自ら醸造したビールを、浅草の曹源寺で蘭学者仲間にふるまったという逸話も伝えられている。
ポーハタン号船上での酒宴の様子を描いた図

ポーハタン号船上での酒宴の様子を描いた図(『ペリー提督日本遠征記』/下田・了仙寺 蔵)


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