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フード&サイエンスこぼれ話

特定のにおいだけを感じない「特異的無嗅覚症」 Charles J. Wysocki

特異的無嗅覚症を発見したジョン・アムーア博士

特異的無嗅覚症の症状を初めて生物医学文献の中で取り上げたのは、アメリカの植物学者アルバート・F・ブレイクスリーで1918年のことです。ブレイクスリーは、特定の品種のバーベナの花の香りだけを知覚できない人について言及しました。30年後の1948年、フランスの物理学者マーセル・ギヨが、この症状に関する体系的研究を最初に行い、8 つの異なる症例を報告しました。さらに数十年後、イギリスの生化学者ジョン・アムーアが研究を開始。長い年月をかけて特異的無嗅覚症を発見し、これに基づいて、においを基本的な型に分類する方法を編み出しました。この方法で人間の嗅覚に隠されている体系を明らかにできるとアムーアは考えていたのです。
1991年、アムーアは自らの研究結果を共著で総括しました。ところが皮肉なことに、同じ年にアメリカのリンダ・バック(生物学者)とリチャード・アクセル(神経科学者)が嗅覚受容体遺伝子の特定に関する画期的な論文を発表し、2004 年にノーベル生理・医学賞を受賞しています。
アムーアによる極めて重要な研究以降、人間以外の動物においても特異的無嗅覚症が発見されるようになりました。特に近交系マウスは、嗅覚認知と遺伝子の関係を調べる研究において優れたモデルになっています。さらに、においの強さに対する認知の個人差に注目した研究からも、新たな特異的無嗅覚症の発見が続いています。

次々に発見される特異的無嗅覚症の対象物質

1991年にアムーアらは、チーズに含まれる「イソ吉草酸」、ビールや食パン、チョコレートの基本的な香りを構成する「イソブチルアルデヒド」、魚のようなにおいの「トリメチルアミン」、スペアミントのような香りの「L-カルボン」など、9 つの物質に対する特異的無嗅覚症を発表しています。その後さらに、脇の下の強いにおいを放つ「3-メチル-2-ヘキセン酸」、スミレの特徴的な香りでラズベリーにも含まれる「β-ヨノン」に対する特異的無嗅覚症が発見されています。私たちの研究室も、 2010 年のアメリカ化学受容学会(AChemS)で、土のようなカビ臭いにおいの「ゲオスミン」、脇の下の汗臭の「3-ヒドロキシ-3-メチルヘキサン酸」、男性の加齢臭に関係する油くさいにおいで、ビールとそば粉にも含まれる「2-ノネナール」、排泄物臭の「スカトール」に対する特異的無嗅覚症の発見を報告しました。
新たな特異的無嗅覚症が発見されるたびに、私たちは、昔から「人の味覚は理解できないものだ」と片付けられてきた事柄の知的解明に近づくことになります。この場合の味覚とは、味だけでなく嗅覚を含んだ風味を指しています。私たちの先祖を含む昔の人々は、長い間、味 (甘味、塩味、酸味、苦味、うま味)とにおいを混同していたのです。

特異的無嗅覚症を示すにおい物質

<出典>

Amoore, J.E. & Steinle, S. (1991) A graphic history of specific anosmia. In Wysocki, C.J. & Kare, M.R. (eds.) Chemical Senses: Volume 3 -- Genetics of Perception and Communication. New York: Marcel-Dekker, pp. 331-351.
Wysocki, C.J., Louie, J., Oriolo, L., Au, A., Strojan, E., Emura, M. & Lankin, M. (2010) Newly discovered specific anosmias. Chemical Senses, 31: A54.
※表中のにおい物質と特徴の表現に関しては、高砂香料工業株式会社にご協力いただきました。

去勢されていない雄ブタのアンドロステノン臭

ここで、前述したレストランでの話に戻りましょう。詩人は、トリュフに含まれるアンドロステノンのことを思い出しましたが、アンドロステノンと雄ブタ臭との関係は思い出せなかったようです。去勢していない雄ブタの肉には、高濃度のアンドロステノンが含まれているのです。ただし、早い時期に去勢したり、ワクチンを接種した雄ブタには、アンドロステノンはほとんど含まれていません。
日本産の雄ブタは、ほとんどが去勢されていますが、フランス産の雄ブタは約70%しかワクチン接種を受けていません。シェフからの贈り物に使われていたポークは、ワクチン接種を受けていないフランス産の雄ブタだったのです。シェフは、アンドロステノンによる雄ブタ臭のことをよく知っていたにもかかわらず、アンドロステノンが多量に含まれている豚肉を料理に使ってしまいました。豚肉のアンドロステノンのにおいに気づかなかったからです。シェフもまた、アンドロステノンに対する特異的無嗅覚症だったのです。

文:Charles J. Wysocki / 訳:キリン食生活文化研究所

<出典>

Amoore, J.E. & Steinle, S. (1991) A graphic history of specific anosmia. In Wysocki, C.J. & Kare, M.R. (eds.) Chemical Senses: Volume 3 -- Genetics of Perception and Communication. New York: Marcel-Dekker, pp. 331-351.
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