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キリングループの歴史

  • 文明開花華やかなる明治の頃、ビールは「新時代の飲み物」でした。1888年の「キリンビール」の発売以来、時代がめまぐるしく変化する中でも常にお客さまの暮らしに寄り添い、あたらしい飲みものをお届けしてきました。このページでは、キリンビールを中心としたグループの歩みをご紹介します。
  • ジャパン・ブルワリー重役会議事録

第一次大戦時の増産体制と、関東大震災からの復興

完成時の神崎工場

完成時の神崎工場

完成時の仙台工場

完成時の仙台工場

完成時の横浜新工場

完成時の横浜新工場

1914(大正3)年に勃発した第一次世界大戦は、日本にかつてない好景気をもたらしました。ビールも都市部で現れ始めた「サラリーマン」を中心に消費が顕著になりました。また大戦によってヨーロッパのビール会社が後退したため、とくに東南アジア方面への輸出が急増しました。当社は1918(大正7)年4月に神崎工場(1949年に尼崎工場と改称)を竣工し、翌月には横浜山手に製麦工場を完成させて増産体制を整えていきました。さらに1923(大正12)年5月に仙台の東洋醸造株式会社を買収して仙台工場としました。

そのような折、同年9月に発生した関東大震災によって横浜山手工場が壊滅的な被害を受けました。ただこのとき山あいにある横浜山手工場は拡張の余地がないことを鑑みて、1926(大正15)年6月に現在の横浜の生麦に最新設備を備えた新工場を完成させました。その後も各工場に製麦工場を設置し、横浜工場には清涼飲料工場、製びん・製栓工場も建設するなど、積極的に設備を拡張していきました。

ところで関東大震災後にビールは一時供給不足になりましたが、1925(大正14)年には一転して需要が頭打ちになり、逆に供給過剰の状態に陥りました。ビール各社は設備を拡張し続けてきたので、その対応が急務となりました。当社も大幅に販売量を増やすことによって工場稼働率を確保する必要に迫られ、1927(昭和2)年1月に明治屋との一手販売契約を解消し、社内に営業部を設置して販売を直接管理する体制を整えました。


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